「二人は一体」 片柳弘史神父様 お説教

ブログ 「道の途中で」から引用(引用元:http://d.hatena.ne.jp/hiroshisj/

「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である」(マタイ福音書19:5-6)とイエスは言います。互いに愛し合い、神さまの愛の中で一つに結ばれた二人は、相手の体が自分の体であるというくらいに堅く結ばれている。もはや切り離すことはできない、ということでしょう。夫婦の絆ということが、今日の聖書箇所のテーマだと思います。

二人が一体であることの根拠は、神が人を「男と女とにお造りになった」ことに求められます。男と女は、もともと一つの体であったものが切り離された。だから、一つの体に戻るのが自然だということでしょう。もっと言うならば、男と女は、一つに結ばれたとき、人間が男と女に別れる前の姿、人間としての完全な姿に戻ると言ってもいいかもしれません。互いに愛し合い、「相手を自分のことのように愛し合う」絆が二人のあいだに結ばれるとき、二人は人間としても完成するのです。

「一体」という言葉からは、まず身体的な意味での一致が連想されるかもしれませんが、もっと重要なのは心の一致ということだと思います。二人が一体であるというのは、相手の身に起こることを、そのまま自分に起こることとして受け止める。相手の喜びを自分の喜びとして喜び、相手の苦しみを自分の苦しみとして苦しむということでしょう。互いが互いを思いやり、労わることの究極の理想が、一体という言葉に込められていると思います。

では、結婚しない人はどうなるのか。一生、真実の愛を知らないまま、不完全な人間として終わるのでしょうか。だとすれば、わたしたち神父はとても不幸だということになりますが、そうではないと思います。神父の場合は、結婚式ではなく叙階式によって「教会と結ばれる」と言われます。「神の民」である教会を、常に自分自身のこととして考えるほど深い愛で結ばれることで、神父も完全な姿になってゆくのです。結婚しなかったとしても、誰かと深い愛で結ばれることによって、わたしたちは人間本来の姿に戻ってゆくのではないかと思います。

絆を守るために何より大切なのは、相手を思いやる心でしょう。一体になるためには、相手の身に起こることを、すべて自分の身に起こることとして受け止めるほどの思いやりが必要なのです。相手に対して初めに抱いた愛を忘れず、二人の愛を永遠のものにできるように祈りましょう。